• 起業教育研究会について
  • 講演会レポート
  • 授業の充実と学びの実践

CLOSE-UP!

  • 起業教育ワークブック
  • 授業の事例紹介
  • ビジネスアイディア甲子園
お問い合わせ 大阪商業大学リエゾンセンター
大阪府東大阪市御厨栄町4-1-10大阪商業大学9号館2階 TEL:06(6785)6262・大阪商業大学9号館2階
MAIL:liaison@oucow.daishodai.ac.jp

講演会インデックスに戻る

バックナンバー

Vol.20 岸川政之 講演会

―高校生レストランの仕掛け人が語る「未来の大人たちとともに、地域の宝を探し出せ!」―

多気町役場 まちの宝創造特命監 岸川 政之

はじめに

三重県多気町役場のまちの宝創造特命監の岸川政之と申します。私は役場の職員ですが、小さいころからいろいろなことに興味を持っていました。大学卒業後、田舎の多気町に約30年前に帰って来ましたが、図書館も文化会館もなく、何もないのでびっくりしました。これはどういうことなのかと思いました。

隣の松阪市は、松阪牛で有名ですし、立派な文化会館も図書館もある。伊勢市には、もっとすごい文化会館もある。なぜ同じ行政でこんなに違うのだろうかと疑問でした。モチベーションは、「こんなくそ田舎、抜け出してやる」でした。その中でいろいろな取組をしてきました。

いま多気町は高校生レストランなどで、マスコミにいろいろと取り上げられています。

例えば『情熱大陸』や『カンブリア宮殿』に出ますと、職場にあるホームページのカウンターが500 件から1000 件ほどに上がります。中でも『報道ステーション』の反響は特別で、2日間で約8000 件くらいのアクセスがありました。その中で映画プロデューサーの目に止まり映画を撮ろうという話になりました。それが、日本テレビ系列でドラマになりました『高校生レストラン』です。

今、新しい取組も国でプレゼンテーションをしています。総務省や、内閣府、中教審でやろうとしています。簡単に言いますと地域の在り方。過疎化していく地域が、学校を中心として生き残っていく一つの方法として国に提案をしています。

農業振興に取組

私がなぜ農業に取組もうと思ったかといいますと、私自身は非農家ですが13 年前に農業関係の部署に異動になったことがきっかけです。小さい田舎ですので役場のいろいろな部署を回ります。しかしこれまでの仕事は、事務的な作業をする部署ばかりでした。例えば総務課の財政で7年間勤務しました。ところが平成12 年4月に希望していた農業の部署に変わりました。田舎だからなんでも兼務で、この部署は農業、林業、商業、工業、農業委員会、観光と産業全般です。

当時の農林商工課は、職場ではあまり行きたくない課だったのですが、私は第一次産業が大好きで行きたかったのです。異動してすぐに田んぼを初めて借りて耕し、お米を作りました。その後、土づくりの研修とか農業についての勉強をするうちにどうしたら町の農業をもっと活性化できるかと真剣に考えてみたいと思うようになっていきました。

調べてみますと農業の町なのですが、この町には農業はないと思ったのです。農業と、「業」とついているのに農業で本当に生活をしている人はほとんどいません。みんな兼業でかなりの赤字です。これで農業の町といえるのかと思ったときに、認定農業者という制度を知りました。国が一定水準以上の専業農家を認定して、応援しようという取組です。

当時係長であった私は、町内の認定農業者の方35 名にお声掛けをし、役場に集まっていただきました。そして訴えたのです。

 「皆さんと一緒に協力して多気町の農業を盛り上げていきたい。プロである皆さんが光らなかったらこの町の農業は絶対によくなりません。みなさんにスポットをあてるようなイベントをさせてください。しかし、皆さんにただスポットを当てても芸がないので、皆さんが作っている農産物を買わせてください。」と。

その農産物にスポットを当てることによって作り手が浮かび上がるような、間接照明のようなイベントをさせていただくようにお願いをしたのです。

そうすると皆さんが本当に喜んでくださって、「分かった。岸川、協力したるわ」と言ってくださり、そしてたくさん農産物が集まりました。その農産物をどうしたらいいかと考えたときに、地元の高校生に試食会をお願いしました。正直に言いますと、役場と県立高校の距離は本当に遠いです。実際の距離が遠いということではなく、母校でもなく、行政管轄でもないので行くことがありません。多気町長が入学式と卒業式に行くぐらいです。その位でしか行ったことがなかったのです。

学校は勉強するところで、町の職員が行って何かお願いをすることは少し申し訳ないという思いもありました。行ったことがなく、敷居が高かったのです。

イベント当日は午前中に料理ライブショーを行い、昼に認定農家の農産物で高校生がつくった料理の試食会をしました。その時私は、試食会に出てきた料理を見てびっくりしました。30 品目ぐらい大皿で、前菜からメイン、デザートまで、その料理を使って結婚式の披露宴ができるレベルの料理だったからです。

約250 名の町民が来てくださり、生徒たちは頼んでいないのに料理の説明や取り分けのサービスをしました。私は、その生徒のかいがいしい姿に感動して惚れてしまいました。行ったことがなかった学校でしたが、それからは週に4回ぐらい、ほぼ毎日通うようになっていったのです。

料理研修施設「まごの店」

11 年前は地元の役場の職員も交流のない学校でしたが、私は先生や生徒たちといっぱい夢を語り合い、できる夢は全部実現してきました。

その中で先生が、学校でできないことが二つあると言われました。料理の知識や技術は教えることができるが、接客とコスト管理は教えることができないと。そこで、先生が出店の話に乗ってこないだろうと思いながら、「じゃあ、先生、店をやりますか」と言いました。するとすぐに先生は「やろう、やろう」と言うのです。私より三つ下ですが正直、「先生ほんまかいな」と思いました。

何回か確認をしましたが、そのたびに先生は「生徒のためになるから、岸川さんやりましょうよ」と言われました。いろいろな問題があり全国に例がありませんでしたが、私は本気になりました。常設のお店を経営するということで、仕入れから調理、接客、コスト管理までを行う全国初の営業店です。

奇跡的だったのは、学校の校長先生が一回でOKを出してくださったのです。実現できたのは校長先生のおかげだと思っています。私が思う校長先生像というのは、守りの人で退職までつつがなく済んだらそれでいいというポジションだと思っていました。だからすぐにはOKが出ないと思っていたからです。その後、さまざまな問題を乗り越えて、受け入れ先と行政もOKとなりました。

さて、越えなければいけないハードルはまだまだあります。考えてみると、県立高校ですから県の教育委員会の管轄です。私は縦割りの中で生きている一役場の職員ですので、直接監督している県の教育委員会を説得しないといけません。私の最大のミッションは、お店が持てると飛び上がって喜んでいる高校生の夢を実現させることです。三重県は保守的と言われていますので本当に悩みました。

教育委員会に行くと、どのような答えが返ってくるのか不安でした。前例がなく食中毒などたくさん問題がある中で、教育委員会からの答えが検討するというものであったとしたら、その検討している材料を1個1個聞き出し全部つぶしていかないといけません。隣で飛び上がって喜んでいる生徒たちの夢を早くかなえてあげたいという思いで、どうしたらいいか3日間悩みました。悩んだ末に出した答えは、黙って出店してしまおうというものでした。そして「まごの店」を実現させていったのです。行政に勤める立場からすると、最低な行動だと思います。

しかし、あの決断をしなければ出店はできていなかったのです。実際には町長と学校長と受け入れ先の施設長の3者で覚書をかわしました。項目はたくさんありますが、要点は高校には絶対迷惑をかけないことです。県の教育委員会に知られたらどうしようかと本当におびえました。計画自体が止められてしまうのではないか、あるいは校長先生が処罰され、迷惑をかけてしまうのではないかと心配しました。

私は自分のことは気に留めなかったのですが、協力して下さる校長先生や周りの人に迷惑をかけるのが一番怖かったのです。なにより生徒の夢を、喜ばせておいてはしごを外してしまうように落としてしまうことがすごく怖かったのです。

そんな中で今のお店は無事に実現しました。

土日は生徒たちが朝6時にお店に入り一生懸命仕込みをして、そして8時に自分たちでまかないのご飯を食べます。髪の毛の長さや携帯を持つ持たないなど、全部自主規制で生徒たちが決めます。先生はそこまで指導をしません。8時にご飯を食べるとき先生は座って食べますが、気が緩むといけないからと生徒は自ら立って食べます。

お客様は早い方で7時頃から駐車場で待ってくださっています。さっそく準備を始めて開店し、10 時半頃からお客様に食事をしていただくのですが250 食がだいたい午後1時ぐらいに完売します。それからコース料理や料理教室などをして、生徒や先生のお昼ご飯は平均、夕方の4時です。8時にご飯を食べてから夕方4時まで食べません。

これは虐待でも何でもありません。生徒たちは、将来食の道に百パーセント進むのです。だから自分たちの夢と一番近いところで取組んでいるのです。中学を卒業後ひと月もしないうちにこのクラブ活動に希望して入ってきます。もちろん嫌だったら辞めればいいのです。引き止めもしませんが、辞める生徒はほとんどいません。また、クラブ活動ですので普通科の生徒も入ってこれます。

「まごの店」は、日本テレビ系列で『高校生レストラン』というドラマにもなりました。ドラマでは、まちづくりをするため店を作るところからスタートしていますが、実際はそうではありません。私が作ったのはただの研修施設です。

15 歳で夢を持ち食の道に進もうと、必死に目を輝かせて頑張っている生徒たちがいます。相可高校の村林先生は、自分の子供といるよりも長い時間、生徒たちを一生懸命指導してその夢を実現させようとしています。それに感動していろいろなステージを用意しました。その中の一つが研修施設です。土日しか開けていないので、いろいろなことを言われました。

私は教育者ではありませんので、生徒全体の底上げをする必要がありませんが、本当にやりたい生徒には最高のステージを用意して伸ばしてあげようと思っています。この手法は、ステージを与えられた生徒たちだけが棒グラフのように伸びていくのではありません。実はその生徒たちが伸びると、他の生徒たちもストッキングをつまみ上げた時のように周りも引き上げられていくのです。これは全体の完成度を上げる、一番早い方法です。しかし、全体の生徒を指導する学校の先生方には、おそらくできない手法だとも思います。

せんぱいの店

相可高校には、普通科と環境創造科、食物調理科、そして農業を勉強する生産経済科の4つの学科があります。私は相可高校の生徒たちが大好きで、今までいろいろな商品を協働して作り、すべての商品が高い評価を受けています。実は相可高校の各学科とのお付き合いは、農業から入りましたので食物調理科よりも生産経済科のほうが長いのですが、今からお話しするのは生産経済科と地元の多気町にある製薬会社とのコラボ商品についてです。

私はその製薬会社の社長と仲が良く、平成22年5月に次のような話をしました。

 「相可高校の生徒たちがまごの店をやり、脚光を浴びてドラマになっていますが、その生徒たちと同じレベルで、あるいはそれ以上に伸びている学科があります。それは農業を学んでいる生徒たちです。農作業をすると手が荒れたりするのでハンドクリームを作っていただけませんか?」とお願いをしました。

そして生産経済科と製薬会社との間にはいって、開発資金の提供や調整役を果たしたのが、(株)相可フードネット「せんぱいの店」です。このお店は、平成20年につくったのですが、卒業生の受け皿として相可高校食物調理科OBたちが中心となって運営する、惣菜とお弁当の店「せんぱいの店」という株式会社です。現在は3号店まででき、働き手も30 名近く、売上も1億円を超えようとしています。

生徒たちは開発にはお金がかかっていないと思っていますが、人件費など経費がかかります。その為「せんぱいの店」が300 万円という初期のお金を用意しました。学科が違っても、母校の後輩にエールを送るということです。そのおかげで実現しているのです。

人口減少における地域の現状及び課題

私のテーマの1つに人口減少問題があります。

50年すると日本の人口は、統計的にだいたい3割減ります。気を付けないといけないのは、人口は平均的に減りません。例えば三重県に南伊勢町という町があります。南伊勢町は多気町から車で40 分ぐらいのところにあります。同じ三重県にあり、海辺の町で東南海地震が起きたら半分以上が被害を受けると想定されているところです。

例えば、50年で三重県の人口は約3割減少します。多気町は頑張りますから人口減を2割台で抑えます。減ることは仕方がありません。しかし、統計上では南伊勢町の人口はたった20 年で4割近く減ります。ですから、同じ三重県といっても、南伊勢町は多気町とよく似た政策をしていたらだめなのです。

といっても人口が減るということは何も怖くありません。大切なのは、まず自分の地域の人口がどのように減っていくのかということを知り、どうしたら住んでいる人が幸せになるかを考えることです。そういう提案です。南伊勢町は私たちから見ると人口減の最先進地です。全くの先進地です。私たちが50 年先に経験する、いや60年先70年先かも分からないですが、それをたった20 年で経験し見せてくれるのです。だけど、そういう町は他の町と同じような取組をしていてはだめなのです。

地域と学校との連携

学校と地域の連携や、実際のプロジェクトは、かなり評価されています。相可高校の取組で、レストランやハンドクリーム、あるいは生産経済科は宇宙大豆といって、JAXA が飛ばした宇宙船に大豆を入れて運んでもらい、宇宙線を浴びさせて持ち帰った大豆を高校の農場で栽培しています。生徒たちはこの大豆で、「宇宙大豆カレー」というものを日本で初めて作ろうとしています。

全国高校生"S"の交流フェア

 「全国高校生"S"の交流フェア」というフェアを今年9月に開催します。このフェアには二つのイベントがあり、一つは国際料理コンクールです。

ガチンコの料理コンクールで、台湾、オーストラリア、ニュージーランド等の世界6ヵ国から高校生が、国を背負って多気町に来ます。

もう一つは、スクール"S"セレクションです。いま多気町とあるいは相可高校と付き合いのある高校が日本中にあります。私たちはオンリーワンやナンバーワンを目指すのではなくて、モデルを目指しているのです。私たちが行っていることを皆さんに真似をしていただきたいのです。そして仲間になっていただきたいのです。だから、ノウハウはフルオープンです。北海道から沖縄までいろいろな場所で行っています。"S"セレクションでは生徒たちが集まって、取組や商品を発表したり交流をします。例えばウェルカムパーティーでは松阪牛を使用しバーベキューを行います。集まってくださる全国の高校は、みんな自費で来てくれます。

このセレクションでは、全国の高校生が行っていることに順位をつけるのではなく、モンドセレクションのように、このレベルは金ですよ、銀ですよ、論外ですよと教えてあげたいのです。全国の高校生が行っていることの評価のスタンダードを作りたいのです。例えば食だったらミシュランと商品だったら楽天と組むことなどを視野に入れながら、今年から始まろうとしています。今回は、北海道から沖縄まで12 校集まってきます。

例えば北海道の三笠市に三笠高校があります。この高校を取り上げる理由は、高校を中心とした地域活性化の取組が北海道と沖縄と三重の3カ所で今スタートしているからです。平成21 年に道立の三笠高校は廃校になることが決定し、平成24年3月31 日に廃校になりました。いろいろな議論が沸き上がり、道立の高校が廃校になるのなら市立化でやりましょうとなりました。しかしこの高校は普通科40人1クラスで、公募しても15 人ぐらいしか来ない規模です。高校には偏差値はありませんが、インターネットで調べると33という数字が出てきます。したがって、あまり行きたくない学校です。

三笠市は冬の積雪が4mから6mあります。人口が最高で6万3000 人ぐらいでしたが、今は1万人を切りました。破綻した夕張よりも早く破綻すると言われていた非常に貧しい町です。道立の高校を市立化し、普通科を相可高校食物調理科と同じに学科改編するこの取組に、議員の先生方は7割ぐらい反対でした。みんながあまり行きたくない高校を残すぐらいなら、高齢化しているので福祉にもっと予算を使うようにという議論でした。

それを住民運動で変えていくのです。学校を残すだけではなく、ふるさとを残すことなんだという思いが、議会での議員にGOの最終ジャッジを促しました。去年4月1日から市立化しスタートし入学希望者が以前は15 人と少なかった高校が、北海道で1番高い競争倍率の高校に変わりました。

普通科を食物調理科全寮制で行い、定員割れが完全に解消されています。それどころか、毎週北海道のマスコミに取り上げられているそうです。北海道のブランドになりました。

去年の秋に全国漁連主催の全国シーフードコンクールが東京で開催されました。約2,000人の高校生、専門学校生たちが応募して、ベスト8が東京で戦いました。相可高校は常連校ですから8人の中に2名入りました。驚いたのが、まだスタートして半年もたっていない、1年生しかいない三笠高校からも1人入りました。正直に言いますと、村林先生の一番弟子を先生として送り込んでいます。そして私たちは彼らと同志ですから、講演会の経費も自分たちで捻出して三笠学校に行くなどの協力体制をとっています。

コンクール出場者の戦いですが、8分の3が相可高校のDNA です。そしてなんと優勝したのは三笠高校の生徒でした。弟子に負けたのです。しかし、すごくうれしかったです。みんな喜びました。今、三笠高校は北海道中で料理コンクールを総なめです。三笠高校はすごいことになっています。

一方、沖縄の宮古島は本島から約300km 南に下り台湾との間にあります。島といっても人口は5万4000人で、四つの県立高校があります。しかし、行政管轄の違う町が、あるいは市が、高校と組むということはなかなかありません。宮古島の特徴は4月になると、高校生たちが就職や進学でこの島を離れるので人口が減ります。しかし素敵なところは、みんな帰ってきたいと思っているところです。

そういう島の人たちですが、行政と県立高校との付き合いがありませんでした。去年の夏に宮古島市はフォーラムを開き、市と高校生の交流会をしました。私も呼んでいただき生徒に2回、一般に2回、合計4回の講演をしました。年間約30 回学校を回りますが、生徒たちと話をすると、1時間や1時間半の間に劇的に変わります。

ここでもすぐに化学変化が起きました。生徒たちは、自分たちで何かをしたいと思いはじめました。生徒たちは大人の講演会にも聞きに来ました。そして生徒たちは四つの高校で有志を募り「仕事クラブ」というものを立ち上げました。自分たちには料理はできないけれども、カフェならできるだろうと高校生カフェ「んまがぬ家」を7月21 日にオープンしました。「んまが」というのは宮古島の方言で「まご」という意味です。「まごのお店」の方言です。この取組はもしかすると沖縄の観光を変えるかもしれません。そういう取組がいまスタートしています。

一方、南伊勢町では、早ければあと6年で廃校になります。そのプログラムを県は進行中です。北海道の三笠高校は道の意向に反して市立化しました。道の教育委員会に「俺たちが決めたことを君たちは従わないのか。」と言われましたが、彼らはそれを実行したのです。

この地域もどうにかしたいという思いがすごくあります。南伊勢高校で生徒を対象として行った私の講演を聞いた後、生徒たちにはすぐに変化が起きました。彼らは学力にコンプレックスを持っています。しかし、世の中に出るといろいろな能力が必要になります。生徒たちが考えている頭の良さというのは、いわゆる偏差値のことで、あの高校は学力レベルが高いとか自分たちはそうではないとか思っています。自分たちで自分たちのまわりに枠を作って縛ることはつまらないことだと伝えます。

相可高校食物調理科の生徒たちと出会った11 年前には、中には掛け算が苦手な生徒がいましたが、社会に出て一生懸命頑張って活躍しています。

ハンドジェルを作った農業科の生徒たちも研究員とやりとりをしても全然負けません。そして自分たちの思いで作る商品が台湾等に出ていくわけです。偏差値の頭の良さもすごく大事な能力ですが、違う能力も伸ばせることを実際に説明するとみんな変わってきます。

これからの地域の在り方

地域資源を活用することを、私は30 年間やってきました。私の今の職名は「まちの宝創造特命監」です。人やもの、歴史や文化など、いろいろある地域資源を1個1個手に取って一生懸命磨き、繋げて宝にする作業をしています。

なぜ宝を作っているかというと、地元の誇りを作っているのです。田舎の在り方として私はそれがすごく大事だと思います。東京や大阪、名古屋で就職することは仕方がありません。生徒たちが「やっとこんな田舎を抜け出した。もう二度と多気町なんか帰りたくない。」と思うようなふるさとなんて悲しいじゃありませんか。生徒自身が、「俺ここを出ていくけれども、盆と正月は絶対帰るぞ。じいちゃんの顔を見に行くのだ。」と言えるような町でありたいと思います。それが私の今行っている仕事の一番の使命です。それが魅力を作っていくということだと思います。

学校運営も地域おこしも一緒です。いかに真剣に必死に考えるかが大事です。そこの差だけです。必死に考えているところは結果を出しています。その必死さの度合いに私は比例していると感じています。

例えば地域の価値観です。私たちの町にはマクドナルドはありません。でも、海に行けばたくさん魚が釣れます。今日はたくさん魚が釣れたから、隣近所に分けてあげよう、そうしたらお返しに大根をもらった、という世界です。

あるいは、所得も東京は約400 万円ぐらいで、大阪も高いです。三重県は約300万円で、沖縄は約200万円です。地方は、どんどん過疎化していくにつれて所得がもっと下がっていくかもしれません。例えば缶コーヒー1本買うのも勿体ないと考えるかも知れません。缶コーヒー1本買うのを考える状況ですが、少し行けば湧水があり、すごく美味しい。都会ではここまで美味しい水は飲めないから幸せだという価値観です。

高校の中で地域資源を勉強して、その資源を利用してビジネスを考えるクラブを作る。その考えたビジネスを大人たちと一緒に一生懸命ブラッシュアップし、その後コンペを開き可能性があるものはプロジェクト化していく。そして、地域が応援して起業する。東京へ出ていって仕事をするのもいいですが、生徒たちが自分たちで仕事を作って、その地域に住める仕組みを町を挙げて必死に考え、取組んでいるのです。いかがでしょうか?

「自分たちがどうすれば幸せになれるのか」をもっと真剣に考えることが大切だと思います。終わりの時間が近づいてきました。最後までお聞きいただきありがとうございました。

ページの先頭へ