「ビレッジプライド」 | 講演会レポート | 大阪商業大学 総合交流センター

講演会レポート

「ビレッジプライド」

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島根県邑南町役場
商工観光課 調整監
寺本 英仁

 「今は、都会より田舎の方が暮らしに誇りを実感できる世の中に変わってきている。」
 僕はこの言葉を10年以上訴え続けてきたが、正直に言うと、当初、その言葉は本人でさえ半信半疑だった。
 でも、今は違う。その訴え続けた言葉は、真になりつつある。「時代がやっと自分に追いついた」と心の中で、ひそかに喜んでいる自分。
 島根県は「過疎発祥の地」と言われる。まったく嬉しくない発祥だ。1966年(昭和41年)に地方から都会へと人が移動した高度成長期に、国の経済審議会がまとめた「20年後の地域経済ビジョン」で、島根県匹見町(現・益田市)が「過疎」の例として取り上げられたからだ。
 今、日本の大きな課題として「少子化」「人口減少」があり、それに伴う高齢化の急速な進行によって、経済活動から医療・福祉の制度まで、社会の根幹から揺らいでいることは周知の事実である。その「過疎発祥の地」つまり島根県は、全国に先駆けて50年前から過疎対策に取り組んでいるトップランナーなのである。その中にあって邑南町の町民は、将来への希望を感じられるようになってきている。2013年度(平成25年度)の町民を対象としたアンケートでは、生活満足度84.1%で、全国平均が64.1%(2012年内閣府調べ)だったからかなり高い。
vol.30_2.jpg  邑南町をここで簡単に紹介させてもらうと、邑南町は島根県中南部、標高100〜600mに位置する中山間地域、いわゆる里山である。広島県に接しており、高速道路を利用すると、広島駅や広島空港まで1時間半から2時間くらいで行ける利便性がある。2004年(平成16年)10月、いわゆる「平成の大合併」で旧羽須美村・瑞穂町・石見町の三町村が合併して発足した。合併時の人口は約1万3,000人だったが、現在は1万1,000人、高齢化率はじわじわ上がって43%超という過疎の典型的な町だ。
 しかし、今の邑南町の状況は、少し変化しはじめている。人口減少の右肩下がりが緩やかになり、子供が増えている。(特殊合計出生率は2.46(2015年)、5年間の平均でも2.0を超える。)3年連続社会増(転入と転出の差によって生じる人口の増加のこと)という実績になって表れている。若い人たちが、Uターン、Iターンしてきて、少しずつではあるけれども子供たちが増えてきているのである。数字で見るとU・Iターン者は、2015年度ではちょうど100名、島根県内の町村で突出して多い。そのうち20歳代〜30歳代の女性は26名もいる。
 田舎は老人ばかりで、若い人(とくに女性)などいないだろうと思われがちだが、邑南町は事情がまったく違う。子育て世代に当たる30歳代女性のコーホート変化率(ある期間に生まれた集団の将来人口を推測する方法)を、少し細かく町内の12地区で見てみると、2011年から2016年では8地区で増加していて、1地区が維持、減少数も5人以下と小さい。これは、少子化・高齢化が進む日本の中で、驚くべき数字である。一見、人口が多くて繁栄している都会と比較してみると明確だ。一極集中で人口が増え、一人勝ちのように思われる首都圏では、2013年から2017年で総人口は2%増えている。しかし、年齢別に見ると0歳~4歳人口も、5歳~64歳人口もどちらも1%減っている。増えているのは、65歳以上の人口で12%増、そのうち75歳以上に限れば、17%増なのである。
 つまり、首都圏でどんどん増えているのは、退職世代にあたる高齢者なのである。若い世代の実数こそ多いけれども、出生率が低くすぎて子供の数は減少している。保育所の不足や地域の手助けがないことなど、子育ての環境は厳しく出生率は減りこそすれ、上がらないという悪循環が続いている。
 一方、邑南町は同時期の人口が5%減ったが、0〜4歳人口が3%増えた。5〜64歳以上は9%減だが、65歳以上は増減なし、そのうち75歳以上は7%減だった。この少子化時代に、邑南町では乳幼児が増えている。この要因は、30歳代の夫婦のU・Iターン者が増えているからだ。なぜ、島根県の中山間地域の邑南町が実現できたのか。
 これは、合併から7年半経過した邑南町の行政が動き出したからだ。邑南町は人口減少が続く中、指をくわえて待つことを止めた。若い人を呼び戻すために、魅力的な町づくりに舵を切ったのだ。若者定住をターゲットにした2つのプロジェクトを進めていった。
 一つは、「日本一の子育て構想」を掲げ、中学卒業まで医療費無料、第二子から保育料は完全無料という施策を中心に、「地域で子育て」をする町を目指した。
 そして、もう一つが「A級グルメ構想」である。このA級グルメ構想は「本当に美味しいものは地方にあって、本当に美味しいものを知っているのは地方の人間である」をコンセプトとしている。この構想は地域の良質な農産物を活かし、「食」と「農」に関わる人材を育て、移住者も観光客も呼び込み、起業・開業につなげて、地域経済を循環させていこうという戦略だ。このA級グルメ構想は、いきなり思いついたものではなく、平成16年の合併当初から「食」で町起こしをしてきて、トライ&エラーを繰り返してやっと生まれてきたものである。
 いわば、「産みの苦しみ」から生まれた地方創生の秘策なのである。
 地方創生において、各自治体がこぞって取り組んだ事業の主な3つをあげると、「若者定住」、「観光入込客の増加(インバンド含む)」、「若者の起業」だ。邑南町も例外でなく、この3つの事業を中心的に取り組んだ。その中核になったものが「A級グルメ構想」である。
 A級グルメ構想は元々、人口減少の進む中、このまま行けば地域内循環経済が崩壊してしまうという危機感から、販路を東京に求めたことがはじまりだ。この東京での販路開拓の2つの失敗の経験が、「A級グルメ構想」を取り組むきっかけになっていった。
 まず、最初の失敗がブルーベリージャムである。合併当初、建設事業が縮小化される中で、建設事業者に町が異業種参入を進めた。その中で、特にブルーベリー栽培に取り組む事業者が多かった。ブルーベリーと言えば「ジャム」と言わんばかりに、事業者はブルーベリージャムを作った。これを東京のデパートに持参して、バイヤーに売り込んだのだが、味を確かめるでもなく、ブルーベリージャムの瓶に貼っているラベルばかりに注目をしている。
 バイヤーの第一声は「デザインがダサイですね」だった。僕は赤面した。実はラベルのデザインは役場職員の僕がしていた。行きの新幹線の中で、僕は同行した生産者にラベルの出来栄えを自慢げに話していた。バイヤーはまず、デザインをやり直すことをアドバイスしてくれた。邑南町に帰り、バイヤーが紹介してくれたデザイナーとアポをとり、デザインの見積もりを依頼した。
 驚くべきことに、ラベル一つのデザイン費の見積もり額は、30万円を超えていた。自分が役場のパソコンを使ってラベルをデザインすれば、少々格好は悪くても無料でできるのに、プロのデザイナーに委託をするとラベル一つに、ものすごく高額なデザイン費が請求されるのだと知った。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
 完成したラベルのデザインの商品を持って、もう一度、生産者と東京のデパートに乗り込んだ。バイヤーは、やはり試食はしてくれなかったが、デパートのジャム棚に置くことを約束してくれた。僕も生産者も、飛び上がるほど嬉しかった。これが、初めての東京での商談成功なのである。
 しかし、喜ぶこともつかの間、デパートの棚に並んでから何ヶ月か経過して、生産者から役場に電話があった。「発注が2週間はあったが、それ以降、発注がなくて」と言うものだった。僕は慌ててデパートのバイヤーに状況確認するために、電話をした。するとバイヤーは、「寺本さん、理解して頂きたいのですが、ブルーベリージャムはどこの自治体のも同じ製法で作られています。デパートとしても、いろんな町のジャムが目新しく商品棚に陳列した方が、お客様も喜んでもられるので、そこはご理解して頂きたい」と。
 僕は、そのバイヤーの言葉に妙に納得してしまったが、一生懸命努力を重ねて、やっとのこと商談をまとめた生産者にとっては、深刻な問題だった。
 この話を読まれて読者の方はどう思われただろうか?
 これは、日本の6次産業化の大きな弱点だと僕は思う。地方の人間は、利益を増やすために、一次産業にただ留めるだけでなく、加工(二次産業)から販売(三次産業)までやることを1次産業×2次産業×3次産業で6次産業化を進めてきたが、加工や販売をするに当たり、デザイナーやデパートなど都会の事業者の協力を得ないと都市部の消費者に売ることができない。
 都会の協力者に支払う金額は、自分たちの売り上げを大きく上回ってしまう。
 結局、お金も商品も都会に奪われてしまうと僕は考えた。
 ブルーベリーの次に、町一番の特産品である石見和牛肉を都内の一流ホテルに売り込む戦略を立てたのだが、ホテルから来た発注の内容がこれまた凄まじかった。
 石見和牛肉は、「年間200頭未経産の雌牛」をキャッチフレーズとして売っていたが、ホテルの発注内容は2週間でヒレ肉とサーロインの高級部位を2週間のフェアで使いたいと言うオーダーだった。年間200頭を売りにしているものを2週間で200頭なんて到底用意できるわけがなし、他のモモ肉やバラ肉などの大量の部位は生産者の方で販売して欲しいと言うものだった。人口1万人の町の生産量では、大都会東京の胃袋を賄うことには限界があるとこの時痛感した。
 しかし、この2つの経験を逆手にとり、「本当に美味しいものは地方にあって、美味しいものを知っているのは地方の人間である」を合言葉に、当時、はやっていたB級グルメではなく、A級グルメで人を呼ぼうと考えた。邑南町には、石見和牛肉をはじめ、キャビアや自然放牧の牛乳、さくらんぼなど高級食材の宝庫である。この食材を、僕が東京で見た一流レストランのシェフが邑南町で料理すれば、全国から客は来ると思った。
 さらにイタリアやフランスではミシュランの星付きレストランは、ローマやミラノ、パリではなく、地方の田舎に存在するということを聞いていたことも僕の背中を押した。日本には、東京、大阪、京都など大都市にミシュランの星付きレストランが存在している。一方、日本の地方は何をしたか?それは、良い食材は地元に残すことはせず、こぞって都会に出荷したのだ。そして、市場で高値が付くことに誇りをもっただけではないか。
vol.30_3.jpg  この状況を打破する戦略こそA級グルメ構想であり、その中核的存在が平成23年に立ちあげた、町立イタリアンレストランAJIKURAだ。このAJIKURAは、ランチで1万円以上するコースもあり、当時「銀座のレストランよりも高い」と話題を呼び、多くのマスコミが駆けつけた。そして、このAJIKURAは地方創生が目指す「若者定住」、「観光客誘致」、「起業家育成」の3本柱を成功させる秘密装置として全国から注目されることになる。
 簡単に説明すると、ただの地方の高級イタリアンレストランで地方に観光客を呼ぶだけでなく、全国から料理人の卵を呼び3年間定住させ、教育し、起業させると言う、3つの柱を同時に解決する装置なのだ。発想は素晴らしいと我ながら思ったものの、先に触れたように、この地方創生3本柱に邑南町も取り組んだ結果、議会や住民の評価は散々たるものだった。それで、僕はこの戦略は、まだ邑南町の住民になっていない移住者や観光客に金を投資するもので、そこに住んでいる住民の気持ちを置き去りにしていたことに気がついた。
 邑南町に住んでいる住民のほとんどが、65歳を超えている(高齢化率43%)。
 マーケティング的に言うと、この人口の一番多い層に支持される政策を展開していかなくてはいけないのだ。あくまで、主役は住民である。
 そこで僕は、AJIKURAの取り組みの視点を、観光客や移住者から農家に視点を変えた。「邑南町の基幹産業は農業である」と、町の計画書にも書いてあるが、その農業従事者のほとんどが、定年を迎えた世代なのである。僕はそれを悲観するのではなく、彼らがAJIKURAを通じて、自分たちが丹精込めた食材が都会の人間に感動を与えるプラットホームになればどんなにいかいと考えた。
 それ以降、AJIKURAでは農家を主役とした、農家ライブを定期的に開催した。
 すると、都会から学びに来たシェフの卵たちは、直ぐさま農家をリスペクトするようになった。そして、生産者の顔も見違えるほど、生き生きしてきた。そんな生産者の姿に、若者や観光客はとんでもなく魅力を感じているのだろう。
 邑南町のような地方は、昔から暮らしの中心に「食と農」があった。60歳になったら農業を辞めて、家で老後をじっと暮らす発想なんてまったくない。田舎では、60歳になってからが本番なのである。国から地方の自治体に交付される補助金は、年々少なくなってきているが、国は地方にはそれなりに金を払っている。地方の銀行の預金額はうなぎのぼりだ。これは、高齢化が進むにつれて、年金額が増えているのだ。その年金が引き出されることなく、銀行に貯蓄として眠っている。地方に若者がいないから、起業や住宅への融資ができない。
 なぜ、地方に若者が住もうとしないか。それは、地方に魅力がないと信じている人が多いからだ。いや、邑南町を見て頂ければ、それは違うと理解してもらえるはずだ。
 邑南町の高齢者は実に魅力的だ。自らの地域資源を活用し、年間800万円以上、道の駅でお寿司を売る70歳代の女性も多くいるし、公務員を退職後、和牛の繁殖農家になり、自分の大好きな重機材を現金で買い、乗り回している70代の男性もいる。「70歳やりがいMAX年収MAX」を実現できる町だからだ。
 楽しく稼ぐ高齢者は、未来に不安を抱く若者にとっては、たまらなく魅力的である。ワクワクするのである。そんな町に住んでみたいとなるのである。
 最近では、地域の課題を改善するため、地元の人間が出資をして合同会社を立ち上げ、空き店舗や空き家を改修してパン屋や蕎麦屋を開き、都会の移住者を地域が受け入れる取り組み、いわゆる「0円起業」も出てきた。地域課題を自らが解決していく。これが本来の地方創生ではないだろうか。
 若者が町に帰って来ないから、企業誘致をすると言う話をよく耳にする。
 しかし、邑南町のような高齢化率43%の町では、働き手を探すのも至難の技だ。
 挙句の果てに、地方のインフラ事業である、建設・介護・医療の現場から賃金の値上げによって人を奪っていく。僕は若者の仕事を作ることは否定はしない。
 ならば、住民一人一人が昨年より年間1万円稼ぐことにより、邑南町で言えば人口1万人×1万円で、1億円の金を稼ぐことになる。その金を町で使うと年収300万の若者の仕事を(1億円÷300万)33人の仕事を作ることができる。
 住民自ら稼ぎ、それを町で消費することで新たな仕事をつくる。
 その結果が、ここ3年で800人以上の若者が邑南町に移り住んだ要因の一つである。
 いまは、田舎の方は暮らしに誇りが実感できる世の中だ。僕は「地方の誇り=ビレッジプライド」だと考えている。

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