講演会レポート
「「主体的・対話的で深い学び」を実現する起業家精神!~教科授業そのものを起業家教育に!~」
産業能率大学
経営学部 教授
小林 昭文
最近アクティブラーニングは随分テレビでも取り上げられるようになってきまして、ドラマで取り上げられたり、ニュースで取り上げられたり、NHK「あさイチ」は1時間ぐらい取り上げたりしています。あるドラマの中の一場面で私の本が紹介されて驚いたりしています。
まずは簡単に自己紹介しておきます。私のキャリア形成はかなりめちゃくちゃでして、一応大学物理学科にいたんですが、途中で空手に夢中になりまして、しばらく空手のプロで生活していて、それから転身して教員になりました。荒れる学校に勤務していたのですが、上司にいきなり「カウンセリングの勉強をしてこい」と言われたのが、大変大きな学びのきっかけになりました。その学びが基盤になってキャリア教育のプログラム開発をしたことがもとになり、後ほど紹介する新しい物理の授業をつくることができました。
多分、なんですが、起業家精神ということで皆さんが子供たちに育成しようと思っていることと、私がこの授業をつくるときに考えていたことや、生徒たちに身に付けさせようと思っていることが共通しているのではないかと思っているので、その辺でお役に立てることを期待してお話します。
まず、少し理論的な話です。なぜ今、授業改善なのか、今までの何が問題なのかということについてお話します。
右図の外枠が学校教育の枠組みだと思ってみてください。多分、臨教審で「生きる力(1984年)」が打ち出された後に、学校教育の中にはさまざまな新しい教育が入ってきました。「いじめ防止教育」「教育相談」だとか、そのほか「○○教育」と呼ばれるものがいっぱい入ってきました。
知り合いの教育学の教授に聞いたら、「○○教育」というのは100ぐらいあるんだそうです。でも、それが次々に学校に入ってきたけれども、教科科目の授業はほとんど変わりませんでした。なぜかというと、そういうのは全部教科科目の授業の外側だけで行われていたんです。これが右の図の意味です。例えば、教育相談は教科授業の中では行われません。いじめ防止教育も、教科授業の中では行われません。ホームルームの時間、総合的な活動の時間、学年などの特別活動の時間、放課後や昼休みなどの時間に行われることがほとんどでした。
そのために学校教育の中で矛盾が起きています。つまり、「○○教育~いじめ教育や同和教育など~」の中では、先生たちは生徒たちにこう言います。「困ったら、SOSを出しなさいね」「隣の人が困っていたら、手伝ってあげなさいね」「そういう状況を先生に連絡しようね」「みんなで協力しようね」という具合です。しかし、英語や数学や国語の教科科目の授業中には、「黙ってろ」「じっとしてろ」「隣に聞くな、自分でやれ」「人に教えるな」というわけです。これは大きな矛盾だと私は高校教員時代からずーっと感じていました。
多くの先生たちはこの矛盾に気づいていなかったようです。「○○教育」の時間と教科科目の授業は「別々の時間だから、区別するのは当たり前」ということだったようです。しかし、今回の新学習指導要領では「教科科目の授業の中」に新しい概念を持ち込むことを提言にしています。これは今までに比べると「気づかない程度の矛盾」ではなく、「ものすごく大きな矛盾」として授業者の目の前に立ち現われてくることになります。ここを理解しておくことが必要だと、最近の私は感じているのです。
右図の外枠が学校教育の枠組みだと思ってみてください。多分、臨教審で「生きる力(1984年)」が打ち出された後に、学校教育の中にはさまざまな新しい教育が入ってきました。「いじめ防止教育」「教育相談」だとか、そのほか「○○教育」と呼ばれるものがいっぱい入ってきました。
知り合いの教育学の教授に聞いたら、「○○教育」というのは100ぐらいあるんだそうです。でも、それが次々に学校に入ってきたけれども、教科科目の授業はほとんど変わりませんでした。なぜかというと、そういうのは全部教科科目の授業の外側だけで行われていたんです。これが右の図の意味です。例えば、教育相談は教科授業の中では行われません。いじめ防止教育も、教科授業の中では行われません。ホームルームの時間、総合的な活動の時間、学年などの特別活動の時間、放課後や昼休みなどの時間に行われることがほとんどでした。
そのために学校教育の中で矛盾が起きています。つまり、「○○教育~いじめ教育や同和教育など~」の中では、先生たちは生徒たちにこう言います。「困ったら、SOSを出しなさいね」「隣の人が困っていたら、手伝ってあげなさいね」「そういう状況を先生に連絡しようね」「みんなで協力しようね」という具合です。しかし、英語や数学や国語の教科科目の授業中には、「黙ってろ」「じっとしてろ」「隣に聞くな、自分でやれ」「人に教えるな」というわけです。これは大きな矛盾だと私は高校教員時代からずーっと感じていました。
多くの先生たちはこの矛盾に気づいていなかったようです。「○○教育」の時間と教科科目の授業は「別々の時間だから、区別するのは当たり前」ということだったようです。しかし、今回の新学習指導要領では「教科科目の授業の中」に新しい概念を持ち込むことを提言にしています。これは今までに比べると「気づかない程度の矛盾」ではなく、「ものすごく大きな矛盾」として授業者の目の前に立ち現われてくることになります。ここを理解しておくことが必要だと、最近の私は感じているのです。
右図に沿ってもう少し丁寧に説明します。明治維新以降、日本は列強の植民地になることを最も恐れていました。そのために戦争に負けない国づくりが急務でした。そのために優秀な軍隊を育成することと並行して、兵器や軍艦等を生産する重工業の充実が不可欠でした。
これに必要な要素は、原材料の確保、工場の増設、インフラの整備などですが、最も重要だったのは優秀な工業労働者の育成でした。当時のベルトコンベア式の生産システムの中では、従順で忍耐力があり協調性が高く、かつ識字能力が高い労働者が求められていました。これを実現するために明治政府は学制令を発布して、大急ぎで国民を学校に通わせ、必要な資質・能力の育成に邁進しました。これが大成功して日進・日露戦争に負けず、植民地になることも免れました。
この時の様子を表しているのが右図の上段の図です。優秀な工業労働者を育成するために学校の仕組みそのものを、優秀な工場労働者の働き方と同じ形式にしたのです。従って、教室で黙ってじっとしている生徒は「良い生徒」であり、そのまま「良い労働者」になることができたのです。
中段は「○○教育」が少しずつ入ってきた段階です。「○○教育」のメッセージと教科科目の授業のメッセージは矛盾していましたが、別々の時間でのことなので、さほど問題にならなかったということなのです。 そして、新学習指導要領の構造を示しているのが、下段の図です。「主体的・対話的で深い学びの実現」は、これまでの「黙ってじっとしてきれいにノートをとれ」「1人でやれ。教えるな、質問するな、協力するな」などのメッセージと大きく矛盾することになりました。
今回の新学習指導要領は、この教科授業のど真ん中に大きな矛盾をつくりだしたことになります。そのために、それに引きずられてあちこちに矛盾が生じてきます。これに必要な要素は、原材料の確保、工場の増設、インフラの整備などですが、最も重要だったのは優秀な工業労働者の育成でした。当時のベルトコンベア式の生産システムの中では、従順で忍耐力があり協調性が高く、かつ識字能力が高い労働者が求められていました。これを実現するために明治政府は学制令を発布して、大急ぎで国民を学校に通わせ、必要な資質・能力の育成に邁進しました。これが大成功して日進・日露戦争に負けず、植民地になることも免れました。
この時の様子を表しているのが右図の上段の図です。優秀な工業労働者を育成するために学校の仕組みそのものを、優秀な工場労働者の働き方と同じ形式にしたのです。従って、教室で黙ってじっとしている生徒は「良い生徒」であり、そのまま「良い労働者」になることができたのです。
中段は「○○教育」が少しずつ入ってきた段階です。「○○教育」のメッセージと教科科目の授業のメッセージは矛盾していましたが、別々の時間でのことなので、さほど問題にならなかったということなのです。 そして、新学習指導要領の構造を示しているのが、下段の図です。「主体的・対話的で深い学びの実現」は、これまでの「黙ってじっとしてきれいにノートをとれ」「1人でやれ。教えるな、質問するな、協力するな」などのメッセージと大きく矛盾することになりました。
例えば、同じ先生が、授業者として生徒に向かうときと、担任として生徒指導をするときとで矛盾がちょっと出てきます。あるいは、新しい授業をあちこちのクラスで始めた先生が特定のクラスだけうまくいかない話をよく聞きます。
私が指導している研究会でもそんな場面がよく出てきます。授業で悩み出している先生に、色々質問して原因を探ろうとしても、よく分からない。そのうち、「小林さん、実は俺もそのクラスでうまくいかないんだよね」という話が出てきます。そうすると、「これは授業者のやり方の問題じゃなくて、そのクラスの問題なの?そのクラスって、どういうクラスなの?担任はどういう人なの?」と聞くと、みんなは「ああ、分かった。あの人が担任だものね・・」言うわけです。
つまり、担任は非常に怖い。普段のホームルームで生徒たちに「俺がしゃべってるときは下向くな。よそ向くな。しゃべるんじゃないぞ」ってやっているクラスでは、新しいグループワークを中心にした授業をやろうと思っても、生徒たちは話さないです。そういう授業者と生徒指導の矛盾が激化してきているということが大きな問題ではないかなと思っているところです。
解決策としては、こういう理論があります。これは生徒指導の分野で言っていることなんですが、多面的・包括的なアプローチという話があって、要するに、同じ理論、同じメッセージを子供たちに伝えようと提案しています。あるときは、先生が「自由にやっていいよ」。あるときは「動くな、しゃべるな」とやるのではなく、全部が一貫できるといいですよね。一貫したメッセージを教科科目の授業の中でも投げ掛けていく。
皆さんは多分、起業家教育ということで色々な時間を作って実践されていると思うのですが、その同じメッセージを教科科目の授業の中でも伝えていけば、特別にその起業家教育をやるとか、キャリア教育をやるとかではなくて、教科科目の授業そのものが、そういったいろんな機能を持った授業になっていくのではないかと思っています。
このあと、私の授業について話をしますが、今、何が起きてるかと気になっている話まで一区切りして皆さんのほうから質問をいただこうと思います。
私がよく指導しているのは、「主体的にやれ」と言ったら、主体的な学びは絶対に起きないということです。生徒に向かって、「おまえ、主体的にやれよ。主体的にやんないと減点するぞ」と言われたら、生徒はどうするかというと、「やばいなあ。主体的にやってるふりしなきゃ」と思いますよね。これはもう、その時点で主体的な学びは起きない。これが、問題の1つです。
それから、対話的な学びということも結構混乱しています。私はずっと理論物理にいたので、対話というのは、ダイアログ(dialogue)のことだとずっと思い込んでいました。そういう訓練を受けてきました。ところが、最近あちこちに行ってみると、「対話というのは1対1の会話」と理解する人が結構いるんですね。絶対間違えていると思って調べてみたら、そういうふうに説明してある国語辞典もあるんですよね。
問題は、どう定義するかで授業のデザインが違ってしまうことです。対話を1対1の会話と定義しておくと、授業の中で、「はい、ペアワークやってね。3分間やってね」と言えば、はい、終わったになります。でも私は、深い意味ではピーター・センゲの定義を踏まえています。簡単にいえば、「1人ではできないことができるようになるプロセス」が対話だと思っています。そうすると私の授業中では、1人では解けない難しい問題を出します。あるいは、1人ではできない短めの時間設定をします。そうすると、生徒たちは否応なしに友達と協力する。そういうふうに言葉の定義が違うと、授業デザインが変わっていきます。
次に、「深い学び」はどうも文科の資料をいくら読んでも分かりません。これ、私は、もともと、このあと紹介する授業の中では、授業をつくるときには、ビジネス理論をいっぱい参考にしてきたので、深い学びの話はビジネス理論のほうがよく分かると思っています。
それから、主体的な学びについては、私はこんなふうに考えています。これはなかなか分かりやすいです。京都大学(2018年9月からは桐蔭学園)の溝上慎一先生に教えてもらったんですが、こういう三層で考えます。Ⅰは、課題依存型の主体的学習。Ⅱは、自己調整型の主体的学習。Ⅲは、自己物語型の主体的学習。Ⅲは、アイデンティティ形成とかウェルビーイングという言葉が出てきますから、これは大人の一生を通した学びと考えることができます。そうすると、高校生を相手に考えるときには、Ⅰの課題依存型の主体的学習から子供たちが自分自身をメタ認知しながら方向付けていくような勉強ができる、つまりⅡの段階に引き上げてやればよいだろうと思っています。
ただ、一番下に「興味・関心をもって課題に取り組む」と書いてあるのは、現場の感覚とはちょっと違いますよね。私たちの目の前には興味・関心もないけども、仕方がないから教室にいるという子がいっぱいいるので。いわば「Ⅰ以前」とでも言いたい段階の子もいます。その子たちをⅠに持ち上げ、更にⅡに挙げることができたら、高校の課題は一応達成したと言えるのではないかと感じています。その辺はあとで説明することにして、もう一つ。
これ(右図)、皆さん、起業家教育をおやりになっていると、興味持っていらっしゃる部分じゃないですか。キャリア教育のこの仕組み。私は、自分の授業をつくっていくときに、とても大事にしていました。
これを私はこう読み取っていました。「基礎的・基本的な知識・技能」の上に「専門的な知識・技能」を乗せるには、こういうさまざまな力=柱(「キャリアプランニング能力」「課題対応力」など)を太く高く積み上げるべきだ。だから、この中間の柱にあたる「社会的・職業的自立、社会・職業への円滑な移行に必要な力」が伸びてくれば、「専門的な知識・技能」をきちんと身に付けることができる。大学入試にも対応できる。<br> 一方で中間の柱の部分は、社会人基礎力とかコンピタンシーとか、思考力・判断力などともつながるものなので、2つを一緒にやることができるはずだと意識していました。ここでひと区切りです。かなり早口で言っちゃいましたが、さっきの2人か3人のグループで、今、私がワーッとしゃべったことの中で、印象に残ったことや、ちょっと質問してみたいねということについて、2分ぐらい話し合っていただけますか。そのあと、質問をいただこうと思います。どうぞ。
はい、ありがとうございます。じゃあ、ちょっとだけ、短い時間で質問、1つ、2つぐらいいただこうと思いますが。どうぞ、質問ありますか。手を挙げていただければ、マイクを送ります。ここまではないですか。じゃあ、先に行っちゃいます。私は、「質問は?」って聞いて、30秒ぐらいしか待たないことにしているんです。
これを私はこう読み取っていました。「基礎的・基本的な知識・技能」の上に「専門的な知識・技能」を乗せるには、こういうさまざまな力=柱(「キャリアプランニング能力」「課題対応力」など)を太く高く積み上げるべきだ。だから、この中間の柱にあたる「社会的・職業的自立、社会・職業への円滑な移行に必要な力」が伸びてくれば、「専門的な知識・技能」をきちんと身に付けることができる。大学入試にも対応できる。<br> 一方で中間の柱の部分は、社会人基礎力とかコンピタンシーとか、思考力・判断力などともつながるものなので、2つを一緒にやることができるはずだと意識していました。ここでひと区切りです。かなり早口で言っちゃいましたが、さっきの2人か3人のグループで、今、私がワーッとしゃべったことの中で、印象に残ったことや、ちょっと質問してみたいねということについて、2分ぐらい話し合っていただけますか。そのあと、質問をいただこうと思います。どうぞ。
はい、ありがとうございます。じゃあ、ちょっとだけ、短い時間で質問、1つ、2つぐらいいただこうと思いますが。どうぞ、質問ありますか。手を挙げていただければ、マイクを送ります。ここまではないですか。じゃあ、先に行っちゃいます。私は、「質問は?」って聞いて、30秒ぐらいしか待たないことにしているんです。
じゃあ、ここから私の授業のもうちょっと具体的な話をしていきます。こんな授業をやっていました。越ヶ谷高校は、ちょっと変わったシステムを使っていたので、65分授業でした。それを15分、35分、15分というふうに分けました。最初の15分間に今日やることを説明しますが、この時間をできるだけ短くしたかったし、この次の時間での生徒たちの学びが活性化するような仕組みにしようと思っていました。
そこで、まず、板書をしないで説明をする。今やっているように、こうやってパワポを使ってずっとやっていきますから、板書の時間が0になります。それから、ここに映してるものは、全部印刷して配っておきました。パワポで説明すると楽なんですが、パワポって、次のスライドに行っちゃったときに、前のスライドが見えないという欠点があるので、スライドは印刷資料にして前もって生徒に配っておきます。そうすると、慣れてくると、生徒はノートも取らずに、このプリントと映っているスライドを見ながら、ふーんと聞いているということになります。
さらに、生徒が教科書を読めば分かるようなことは、あえて説明をしないという原則を置いていました。特に重要な部分ですね。例えば、波の授業をやるときには普通野先生は、波長はここだよとか、ラムダって記号で表すよとか、振幅はここだよ。Ade表し単位はメートルだよという話をしますが、私はその辺は全くしないんです。「波の各部分の要素については、このスライドを見といてね」と言うだけです。
その代わり、練習問題の1番には、その波長とか振幅とかを求めなさいという問題を出しているんです。そうすると、私は説明をしていないので、生徒たちは分かんないですよね。「え?この1番って、どうやって解くの?」「さっき先生が出してた図は、教科書のこの図だから、この辺を読めばいいんじゃないの?」というようなことを生徒たちはワイワイ言いながら調べていきます。さらに事前に配布している資料の中にはこれらの練習問題の解答・解説も付いています。そこで、生徒たちは1番の問題を解くときに分かんなければ解答・解説を見ている。読んでも分からないときが時々あるので、「これってどういう意味?」というやりとりもしていくということになります。
「板書・ノートなし。生徒が読めばわかることは説明しない」ので、冒頭の15分の説明はとてもスピーディーです。物理の先生が私の授業を見ると、大体びっくりします。「私の授業では、2コマ分、3コマ分ぐらいの内容を小林さんが15分で説明しちゃったのでびっくりした」とよく言われます。
その次は、問題演習の時間です。3~4題の練習問題を全部理解してくださいというのが、ここでの課題です。より具体的に言うと、「振り返り」の冒頭で「確認テスト」をやるので、グループチーム全員が100点を取れるようにしてください、という課題です。それを実現するためなら、「質問、おしゃべり、立ち歩き」、何をやってもよいですよということにしておきます。で、時間がきたらピタっと確認テストをやって、交換して、採点して、みんなが100点を取って、リフレクション・カードを書いて終了というパターンを一年中。ほとんど一年中このパターンでやっていました。
これは11年ぐらい前にこれを始めたときから使っていたスライドですが、生徒が物理室に入ってくるときには、このスライドを見せていました。年間を通しての目的は、「科学者になる」=「科学的なものの見方や考え方を見に付ける」です。そのためには、対話が必要なんですよ、対話のトレーニングがこの時間の具体的な目標なんですよと説明していました。
で、チャイムが鳴ると......、この下のスライドに行きますけども、内容目標を示すのは、大体どの先生もおやりになると思うんですが。ユニークだったのは、態度目標を設定したことです。「しゃべる、質問する、説明する。動く(席を立って立ち歩く)、チームで協力する、チームに貢献する」。これ、いずれも、対話を促進するための態度目標、ルールとして設定していました。
これ(右図)は雑誌に載せてもらった写真なんですが、問題演習のときの様子です。これは非常に面白くて、生徒たちがさまざまな学び方をしているのがお分かりいただけますか。この手前の子たちは話し合っている。
これだけ見ても、こうやって体を動かしたほうがいい子もいるし、ふーんって聞いてる子もいるし。同じテーブルのこの子(右奥の生徒)は今、一人で読み書きしています。もうしばらくすると入っていきます。歩いてるほうがいいという子もいます。
ここら辺(右上端)に大きなホワイトボードがあって、ここに4~5人いつも集まっていますが、ホワイトボードに書きながらのほうが分かる子たちもいます。後ろのほうは(中央奥)、何か頭を寄せ合ってしゃべってる子もいます。(左奥)机の上に覆い被さるようにしてしゃべってる子もいます。
こういうことをやると、人の顔や性格が違うように、得意な学び方って、人によって違うのだということがよく分かります。これはガードナーという人が、多重知能理論というのを出していますが、そのことが実際にとてもよく分かったという感じがしました。
これだけ見ても、こうやって体を動かしたほうがいい子もいるし、ふーんって聞いてる子もいるし。同じテーブルのこの子(右奥の生徒)は今、一人で読み書きしています。もうしばらくすると入っていきます。歩いてるほうがいいという子もいます。
ここら辺(右上端)に大きなホワイトボードがあって、ここに4~5人いつも集まっていますが、ホワイトボードに書きながらのほうが分かる子たちもいます。後ろのほうは(中央奥)、何か頭を寄せ合ってしゃべってる子もいます。(左奥)机の上に覆い被さるようにしてしゃべってる子もいます。
こういうことをやると、人の顔や性格が違うように、得意な学び方って、人によって違うのだということがよく分かります。これはガードナーという人が、多重知能理論というのを出していますが、そのことが実際にとてもよく分かったという感じがしました。
さらに雑誌に載せてもらったものですが、生徒たちは「気軽に聞けるからよい」「これっぽっちも眠くなりません」などと言います。物理なので、実はこれを始めるまでは必ず誰かが寝るのが私のストレスで、どうやってたたき起すかということを一生懸命考えていたんですが、なかなかうまくいきませんでした。
ところが、この授業を始めた途端に、誰も寝なくなくなっちゃいました。これを始めて定年退職まで6年間、ずーっとこの授業をやっていたんですが、6年間の間に寝た子が一人もいない。これ、面白いですよね。途中で気が付いたんですが。それまで私は居眠り防止のためにやっていたことは、私のパフォーマンスを変えることでした。少し立つ位置を変えたり、見せるものを変えたり、投げるものを変えたりしてみたんですが、これはことごとく失敗しました。
でも、生徒の活動パターンを変えると、寝ないということがよく分かりました。それから、65分、長めの授業なんですが、「終わり」と私が言うと、「え?もう終わりなの?」と声が聞こえてきます。さらに、あっちこっちで、ニコニコしながら、「ああ、疲れた。ああ、疲れた。」という声が聞こえてきて、これは意味が分からなかったので「どういう意味なの?」って聞くと、「こんなに授業中に頭を使ったのは久し振りです。珍しいんです。頭を使うと疲れるけども気持ちいいですね」みたいなことを生徒が盛んに言います。
今、大学の授業でも似たようなワークショップ型の授業をやっているんですが、学生も同じことを言うんですよね。「小林さんの授業は、楽しいけど、頭使って疲れるんですよね」と言います。右下はベテランの先生への激励です。
ところが、この授業を始めた途端に、誰も寝なくなくなっちゃいました。これを始めて定年退職まで6年間、ずーっとこの授業をやっていたんですが、6年間の間に寝た子が一人もいない。これ、面白いですよね。途中で気が付いたんですが。それまで私は居眠り防止のためにやっていたことは、私のパフォーマンスを変えることでした。少し立つ位置を変えたり、見せるものを変えたり、投げるものを変えたりしてみたんですが、これはことごとく失敗しました。
でも、生徒の活動パターンを変えると、寝ないということがよく分かりました。それから、65分、長めの授業なんですが、「終わり」と私が言うと、「え?もう終わりなの?」と声が聞こえてきます。さらに、あっちこっちで、ニコニコしながら、「ああ、疲れた。ああ、疲れた。」という声が聞こえてきて、これは意味が分からなかったので「どういう意味なの?」って聞くと、「こんなに授業中に頭を使ったのは久し振りです。珍しいんです。頭を使うと疲れるけども気持ちいいですね」みたいなことを生徒が盛んに言います。
今、大学の授業でも似たようなワークショップ型の授業をやっているんですが、学生も同じことを言うんですよね。「小林さんの授業は、楽しいけど、頭使って疲れるんですよね」と言います。右下はベテランの先生への激励です。
毎回リフレクション・カードを書かせていたので、こんなものが出てきています。それから、成績も向上し、選択者数も増加しました。選択者数も2倍、3倍に増えました。さらに、教科書も早く終わるようになってきました。
旧課程の物理Ⅱという教科書は、かなり分厚くて、実は日本中で終わっていない教科書でした。でも、大丈夫だったんです。後ろのほうは、入試に出ないという業界の暗黙の了承事があったので、日本中の物理の先生はのんびりやってよかったんです。
その教科書を4月から始めて、11月の第1週には終わらせていました。なので、11月からは入試問題だけを使って授業をやっていきますから、センター試験をメインで考えている子たちは、授業だけでセンター試験100点を目指す。100点取った子もいますし、どうしても1~2題は間違えちゃうんですけども、90点台は何人も取っているという感じでした。
英語や数学が学校中でしごきまくっていましたが、物理は宿題を出したこともないし、長期休み中の補習もやめてしまいました。それでも成績は向上し続けました。だから、しごきまくっても点数は上がるけれども、対話的、主体的な学びを促進させても点数は上がっていくということが言えたかなと思っています。
こういう授業をやる中で、私がかなり重視して使っていたのは、ビジネス理論でした。特に、コルブ(Kolb)の経験学習モデルという理論をとても重視していました。簡単な言葉で言うと、「体験する」→「振り返る」→「気づく」→「新しい行動計画をつくる」→「(新しい)体験をする」というサイクルを回すことをコルブは、「学習」と言っているんですね。これを自問自答しながら回し続けることを「成長」とも言っています。
なので、私自身もそういう人間になりたいと思っていましたが、生徒たちにもこれができるようになって大学に行って欲しいと思っていました。この理論は非常に広い範囲で応用できました。
そのひとつが「質問による介入」です。コルブの理論を応用として編み出しました。グループワークをやるときに多くの先生が悩むのは、せっかくグループにしたのに、話し合わない子供たちが出てくることですね。自分の課題だけ黙々とやっている。そうすると、「何のためにグループにしたと思っているんだ、おまえらは」って言いたくなっちゃいますよね。
このグループに対して「話せよ」と叱ると、ますます委縮しますよね。これをどうするかというのが一つ。
逆に、向こうのグループは何かワーワー、ワーワーしゃべっていて、笑い声も聞こえる。すごい活発にやってるなと思ったんだけども、近寄ってよく見てみると、課題はちっとも進んでなくて、雑談ばっかりやってる。これもイラっときますよね。これも叱ると、子供たちは次から先生の顔色をチラチラ見ながら、「おい、こっち見てるから、何か真面目な話をしようぜ」とか、先生が来た途端に、「だから、1番はさあ......」とかやってるふりをする。
ここをどうするか。で、私はここを、コルブの理論に沿って作り替えていきました。どうやったか。この振り返ると気づきを促進するテクニックは、質問なんですよね。
例えばグループになったけど話し合っていない、自分の課題しかやっていないグループに行って、「チームで協力できていますか」と質問します。あるいは、「質問したり、教えたりできていますか」。これは態度目標に沿った質問です。
そうすると、生徒たちは、「あっ、そうだ。質問してよかったんだ。教えてあげればいいんだ」というふうに自分を振り返り、気づいて、「教えてあげようか」とか、「これ、教えてくれる?」とか「これ、どうやるの?」とかって質問をしていくということが起きます。
あるいは、余計な話で盛り上がってるチームに行って、「確認テストまであと10分だけど、順調ですか。みんなで100点取れそうですか」と質問します。そうすると、自分や自分たちを振り返って、「え?やばい。あと10分じゃ、残り3題終わらないな」と気づくので、「ちょっとその話をあとにして、早く問題を解こうよ」というふうに進んでいきます。
これ、生徒たちは行動変容を起こしているのですが、先生に叱られたから、無理やり行動を変えさせられたのではなくて、自分や自分たちで気が付いて自分で変えた行動なので、気持ちよく変えるんです。しかも、そのことによって、協力して100点取れてよかったという達成感も味わうので、これを毎回ちまちまやっていくことによって、だんだんだんだん自分たちでやる。みんなで協力する。つまり、対話的な学びや、主体的な学びが起きていくことができていました。
ただ、質問で介入して、こういう効果を上げるには重要な条件があります。それは「安全・安心の場」です。それがないと「振り返りと気づき」は得られません。例えば、先生がとっても怖い先生だと、「チームで協力できてますか」とやさしく聞いても、「やばい。しかられちゃった」と生徒たちは委縮しちゃうので、振り返りが起きにくい。したがって、私がこの授業を始めたときに、この安全・安心の場を大事にする。うかつに怒鳴ったり、怖い顔をしたりしないようにとても気を付けていました。
非常に面白いエピソードがあります。この授業を始めて2~3週間たったら、3年生が私のところに来て、「放課後、物理室を開けてくれないか」と言うんですね。でも、いっぱい毎日いろんな会議が入っているので、ずーっと放課後、物理室に私がいることなんかできません。「いっぱい会議があって、俺、いられないんだけどね」。すると生徒は「いや、先生、いなくてもいいんです」。これはちょっとショックでした。「え?俺がいなくてもよくて、物理室を開けろって何なの?」って聞くと、こう言うんですね。
「先生が始めたあの授業はとてもいい。みんなでワイワイやって、模造紙に落書きして、ホワイトボードに落書きしてやってると、とても楽しいし、内容がよく分かる。だから、僕たちは受験勉強をああいうふうにやりたい。
図書室は開いてあるけれども、あそこはしゃべっちゃいけないルールになっているので、そういうことはできない。物理室を開けてくれると、模造紙は貼りっぱなしだし、ホワイトボードも出しっ放しだし、授業のときと同じようにできる。だから貸してほしいんです」
と、こう言うわけです。そこで、「だったら、開けっ放しにしとけばいいよね」ということで物理室を開けっ放しにしました。そしたら放課後、ドッと来ちゃうんです。30人も40人も。時には50人ぐらい来ます。広い教室だったので、50人ぐらい来ても大丈夫なんですけど驚きました。
もう一つ困ったのは、ほっとくと、何時まででも生徒たちがいるんですよね。そこで私は毎日黒板に、「小林は今日6時に帰ります」とか「7時に帰ります」とか書いておいて、30分ぐらい前に顔を出して、「あと30分ぐらいで帰りたいんだけど、よろしくね」というのが日課になってしまいました。2月になると、3年生は自宅研修で学校に来なくなるので、「おお。静かになったな」と思っていると、2年生がやって来て、「先生、僕たちいいですか」。先輩がやってるのをずっと見てるから、やりたくてしょうがないんですよね。毎年こうやって、2月に代替わりが起きて、この自主的勉強会が6年間、私が定年退職するまで続いてしまいました。
この子たちが大学に行って、夏休みになると遊びに来てくれます。ひとしきり「大学の授業はつまんない」と悪口を言います。「まあ、そんなもんだろ」と私が言います。「で、あんたたち、どうやってるのさ」って聞くと、ここでびっくりな話が出てきました。
「だから先生、僕たちは、大学に行ってからも高校のときと同じ勉強の仕方をしてます。空き部屋を見つけて、友達を集めて、教科書、ノートを持ってきて、質問したり、教えたり、ワイワイやってます」。この話はちょっとびっくりでした。
なので、私自身もそういう人間になりたいと思っていましたが、生徒たちにもこれができるようになって大学に行って欲しいと思っていました。この理論は非常に広い範囲で応用できました。
そのひとつが「質問による介入」です。コルブの理論を応用として編み出しました。グループワークをやるときに多くの先生が悩むのは、せっかくグループにしたのに、話し合わない子供たちが出てくることですね。自分の課題だけ黙々とやっている。そうすると、「何のためにグループにしたと思っているんだ、おまえらは」って言いたくなっちゃいますよね。
このグループに対して「話せよ」と叱ると、ますます委縮しますよね。これをどうするかというのが一つ。
逆に、向こうのグループは何かワーワー、ワーワーしゃべっていて、笑い声も聞こえる。すごい活発にやってるなと思ったんだけども、近寄ってよく見てみると、課題はちっとも進んでなくて、雑談ばっかりやってる。これもイラっときますよね。これも叱ると、子供たちは次から先生の顔色をチラチラ見ながら、「おい、こっち見てるから、何か真面目な話をしようぜ」とか、先生が来た途端に、「だから、1番はさあ......」とかやってるふりをする。
ここをどうするか。で、私はここを、コルブの理論に沿って作り替えていきました。どうやったか。この振り返ると気づきを促進するテクニックは、質問なんですよね。
例えばグループになったけど話し合っていない、自分の課題しかやっていないグループに行って、「チームで協力できていますか」と質問します。あるいは、「質問したり、教えたりできていますか」。これは態度目標に沿った質問です。
そうすると、生徒たちは、「あっ、そうだ。質問してよかったんだ。教えてあげればいいんだ」というふうに自分を振り返り、気づいて、「教えてあげようか」とか、「これ、教えてくれる?」とか「これ、どうやるの?」とかって質問をしていくということが起きます。
あるいは、余計な話で盛り上がってるチームに行って、「確認テストまであと10分だけど、順調ですか。みんなで100点取れそうですか」と質問します。そうすると、自分や自分たちを振り返って、「え?やばい。あと10分じゃ、残り3題終わらないな」と気づくので、「ちょっとその話をあとにして、早く問題を解こうよ」というふうに進んでいきます。
これ、生徒たちは行動変容を起こしているのですが、先生に叱られたから、無理やり行動を変えさせられたのではなくて、自分や自分たちで気が付いて自分で変えた行動なので、気持ちよく変えるんです。しかも、そのことによって、協力して100点取れてよかったという達成感も味わうので、これを毎回ちまちまやっていくことによって、だんだんだんだん自分たちでやる。みんなで協力する。つまり、対話的な学びや、主体的な学びが起きていくことができていました。
ただ、質問で介入して、こういう効果を上げるには重要な条件があります。それは「安全・安心の場」です。それがないと「振り返りと気づき」は得られません。例えば、先生がとっても怖い先生だと、「チームで協力できてますか」とやさしく聞いても、「やばい。しかられちゃった」と生徒たちは委縮しちゃうので、振り返りが起きにくい。したがって、私がこの授業を始めたときに、この安全・安心の場を大事にする。うかつに怒鳴ったり、怖い顔をしたりしないようにとても気を付けていました。
非常に面白いエピソードがあります。この授業を始めて2~3週間たったら、3年生が私のところに来て、「放課後、物理室を開けてくれないか」と言うんですね。でも、いっぱい毎日いろんな会議が入っているので、ずーっと放課後、物理室に私がいることなんかできません。「いっぱい会議があって、俺、いられないんだけどね」。すると生徒は「いや、先生、いなくてもいいんです」。これはちょっとショックでした。「え?俺がいなくてもよくて、物理室を開けろって何なの?」って聞くと、こう言うんですね。
「先生が始めたあの授業はとてもいい。みんなでワイワイやって、模造紙に落書きして、ホワイトボードに落書きしてやってると、とても楽しいし、内容がよく分かる。だから、僕たちは受験勉強をああいうふうにやりたい。
図書室は開いてあるけれども、あそこはしゃべっちゃいけないルールになっているので、そういうことはできない。物理室を開けてくれると、模造紙は貼りっぱなしだし、ホワイトボードも出しっ放しだし、授業のときと同じようにできる。だから貸してほしいんです」
と、こう言うわけです。そこで、「だったら、開けっ放しにしとけばいいよね」ということで物理室を開けっ放しにしました。そしたら放課後、ドッと来ちゃうんです。30人も40人も。時には50人ぐらい来ます。広い教室だったので、50人ぐらい来ても大丈夫なんですけど驚きました。
もう一つ困ったのは、ほっとくと、何時まででも生徒たちがいるんですよね。そこで私は毎日黒板に、「小林は今日6時に帰ります」とか「7時に帰ります」とか書いておいて、30分ぐらい前に顔を出して、「あと30分ぐらいで帰りたいんだけど、よろしくね」というのが日課になってしまいました。2月になると、3年生は自宅研修で学校に来なくなるので、「おお。静かになったな」と思っていると、2年生がやって来て、「先生、僕たちいいですか」。先輩がやってるのをずっと見てるから、やりたくてしょうがないんですよね。毎年こうやって、2月に代替わりが起きて、この自主的勉強会が6年間、私が定年退職するまで続いてしまいました。
この子たちが大学に行って、夏休みになると遊びに来てくれます。ひとしきり「大学の授業はつまんない」と悪口を言います。「まあ、そんなもんだろ」と私が言います。「で、あんたたち、どうやってるのさ」って聞くと、ここでびっくりな話が出てきました。
「だから先生、僕たちは、大学に行ってからも高校のときと同じ勉強の仕方をしてます。空き部屋を見つけて、友達を集めて、教科書、ノートを持ってきて、質問したり、教えたり、ワイワイやってます」。この話はちょっとびっくりでした。
この話はさきほどの図式に当てはめると生徒たちは主体的な学びの段階をきちんと上昇していたと言えそうなんです。まず「Ⅰ課題依存型の主体的学習」は、授業中にやってることです。全部私がコントロールしてますから、これを生徒たちはやってることになります。放課後、物理室に集まったとなると、Ⅱの段階ですよね。私の予想外のことですから、主体的なレベルがちょっと上がっています。しかも、彼らは一人でやるよりも、みんなでやったほうがいいと考えていましたから、対話的な学びの効果と意義も感じていたということになります。
で、それを大学に行ってもやってるとなると、もう専門家への道を歩き始めていますから、このⅢのレベルに行きかけていたというふうに行ってもよさそうなんですね。でも、なぜこれができたかなんですけども、私は彼らに「主体的にやれ」と言ったことは一度もないんです。私はひたすら言っていたのは、「対話が大事。対話のスキルを磨こうね」ということを盛んに言っていたんです。そこで私は、主体的・対話的で深い学びの実現というときに、大事なのは、対話的な学びを徹底して促進させる。そのスキルを上げていくことをやっていくと、子供たちはだんだんに主体的な学びもできるようになっていくのではないかと思っています。
あまり時間がないので、最後のほうはパラパラと行きますが。もう一つの資料だけちょっと見ていただけますか。これ、授業見学用ワークシート。あとで読んでもらえばいいんですけども。私は高校の現場でなかなか授業改善が進まないのをいっぱい見てきていますが、その理由の一つは、先生たちがお互いに対話する場面が少ないということが重要だと思っています。
越ヶ谷高校では結構うまくいったんですが。それは、私がこの授業改善をする年に、校長が鶴の一声で授業研究委員会を設置して、私もその中に入れてもらって、研究授業や研究協議を作り変えてきました。小学校・中学校・高校では、研究授業をやります。1人の先生の授業をみんなで見ます。そのあと生徒を帰して、先生たちだけで研究協議をやります。それは授業者に対して、参加した人たちがいろいろ意見を言います。全員が大体意見を言います。
その間、授業者は黙って聞いています。これって、すごい授業者にとっては苦痛なんですよね。私はほとんどいじめだと思っています。対話ではない。そこで、質問を中心とした対話ができるような仕組みをつくっていきました。授業見学のやり方も、そのあと見学した人と授業者の間で対話が起きるような仕組みにしていきました。そんなことが、越ヶ谷高校では先生たちの対話をを随分つくりだしました。教科を超えて職員室でひょいと会ったときに、「あっ、この間見せてもらったあの授業、あれってどうやってるの?」とか、「あれはこうやっているんですよ。次、こんなことをやろうと思っているんです」「え?じゃあ、また見せてよね」なんて会話が盛んに行われるようになって、雰囲気が随分変わりました。
こんなことも組織的な取り組みの中で皆さんがチャレンジしていただけると良いのではないかなと思っています。