講演会レポート
「下請け加工業から、自社商品開発で自立型企業へのアプローチ」
旭電機化成株式会社
専務取締役
原 守男
1.下請け加工業とは?
「下請け加工業から自社商品開発で自立型企業へのアプローチ」というテーマで話を始めます。
事業の形態を大きく分けると、公務員、半官半民、民間企業という風に見えています。自社はまったくの民間企業で、経営状態が悪化しても誰も助けてくれなくて、倒産しているところも多いのです。また私の感覚でいくと、関西電力、大阪ガス、近鉄電車、銀行など、インフラ系の企業は半官半民で、公的な力も加わり、ある一定規模もあります。そのかわり発言もある程度制限され、好き勝手なことも、行うことができないですね。公務員はかなり公的な立場で、採算を普段追っかけるということはされていないと思うのです。そのかわり、公的な立場で、発言に対して自由度は少ないポジショニングです。しかし民間企業は結構自由な立場ですが、そのかわり、いつ倒産しても、自分の力で生きていかなければいけないので、鍛えられていくのでしょうね。
以前自社は、大手企業の下請けの仕事が主でした。その場合は、図面をもらってからスタートし、支払方法は、商品納品後の3、4カ月後に約束手形でいただくというのが下請け加工業の基本パターンです。自社のプラスチック業は、金型をつくるために何百万からを要します。例えば、現在自動車1台を製造するために、金型製作費用が3,000 億円とか、コーヒメーカー1台を製造するために1億円ぐらい要するのです。金型製作工程では、下請け加工業がお客さんから発注を受けて、自社が金型製作企業に発注し、その金型から生まれてくるプラスチック製品を製造します。プラスチック製品は原油の価格に左右されますが、金型を製作することでプラスチック製品を安価で製造できるのです。そのような業務の中でプラスチックの加工だけでは、なかなか商売にならないので、製品に塗装を施したり、組み立てたり、製品に名前を印刷したり、いろいろな加工を施して、費用を加算していきます。
今から24 〜25 年前、経営は順調でしたが、リーマンショックよりもっと強烈な日本経済のバブル崩壊があり、その勢いで、ダイエーやマイカルが倒産し、銀行が次々と統合されて、例えば経営状況がよかった池田銀行が、泉州銀行と合併して、池田泉州銀行となりました。バブル崩壊後、自社のお客さんがどんどん海外に移り、仕事が激減しました。大変な情勢となり、売上を上げるために、自分自身でとにかく商品を生み出さないといけない状況となり、自社商品開発へ方向転換したわけです。懐中電灯から始まってオリジナル商品の製造を始めたけれども、なかなか簡単には売れず、とにかく製造するよりも販売する方が難しいという壁から始まったのです。
2.加工屋からメーカーへの壁
- ①自社商品開発企業と下請け加工業との違い
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自社商品開発企業と下請け加工業との違いについて、下請け加工業は、1個製作したら何円もらえるというような仕事です。自社商品開発企業は、製品の企画作りから始まるのです。20何年前、現在のようにインターネットはなかったので、気になる店を片っ端しから回って私たちの思いついた商品と似たような商品がいくらぐらいで売れているのだろう、どの店に置いたら売れるのかなど、市場調査を行っていました。当時は、同時に下請け加工業も行っているので、市場調査を行うメンバーは誰もいない状況で、自分自身で行うわけです。私が勝手に行うだけの話ですが、昼間は下請け加工業の仕事があるので、夕方から夜までと休日に身近なところから市場調査を行うのです。私は八尾市(大阪府)に住んでいるので、周辺を自転車でグルグルグルグル回りながら、いろいろな店に行って、調査を3年ぐらい行っていました。
自社商品開発でさらに壁となるのは、工業デザイン(プロダクトデザイン)というプロセスです。グラフィックデザインではなく、立体物をつくる工業用プロダクトデザインのことです。下請け企業にはデザイナーがいないので、外部のデザイナーに交渉して、描いてもらうと、結構高い費用を要します。1つデザインを描いてもらうと何十万円を支払わなければなりません。いろいろな形のデザインを3 つ、4 つ描いてもらうだけで30 万円とか40 万円を要します。この費用は自社が支払って、お客さんがお金をくれるわけではないという、ここにもまた自社商品開発の壁があるのです。事前に資金を投資しないと前へ進めないのです。もし(個人)発明家がここまで入り込むと、もう退職金や貯蓄した資金が全部一発でなくなります。個人の場合、アイディアだけ企業に持ち込んで、企業からロイヤリティをもらって開発を進める方が、絶対正解なのです。しかし、自社商品開発(型)企業として生きようと考えた場合、デザイナーにお金を払って進むという、そのような世界なのです。依頼したデザインが、もうひとつなデザインが多く、その場合「もうひとつやなあ。もう1回描いてくれ」、「ただというわけにはいきませんわ」と、こういうような会話となり追加費用が嵩みます。デザインという壁が発生するのです。デザインができて今度は設計のプロセスに移ります。製品の設計に使用するコンピュータと3次元CAD を両方合算すると、1 台あたり100万円〜150 万円ぐらいの投資で現在社員が8人ぐらい居るので、8セットありますから1,000 万円とか1,500 万円の投資でした。これをまたオペレートできる専門技術者を雇い、またそこそこの給料も必要となり、そこそこの腕がないと、きっちりした図面ができないのです。以前はドラフターで図面を描くように教えられたのですが、現在ドラフターは一切使用せず、CAD で描いていくのです。CADの利点は、部品数を10 点でも20 点でも重ね合わせができ、どことどこが重なるなど全部分かるし、CAD のデータがそのまま加工データに移行でき、金型の設計にそのまま使用できます。またこれらの図面を外部で描いてもらうと、図面作成費用が、何十万円から、100 万円近く要するものもあります。下請け加工業の時は、お客さんから、自社に図面を支給してくれていましたが、自社商品開発をしようとすると、CAD のエンジニアはいるわ、CAD の設備がいるわ、外注したらまた費用が発生するわ、このような壁をどのようにクリアするのかという課題が、ここに立ちはだかるのです。だから下請け企業と、すごく違う(お金と技術力、デザイン力の)世界にチャレンジしていかないといけないのです。
- ②意匠登録
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次に、特許申請の中で意匠登録の問題があります。現在において、実用新案は形ばっかりで効力がないので、それなりに売れると他社からまねをされるので、そうならないように意匠登録を弁理士に依頼すると、申請書作成に10 万円、申請内容が登録されると成功報酬として10 万円となります。トータル20 万円ぐらい弁理士に払わないと、意匠登録されないのです。特許の場合は、特許申請の執筆料金だけで30 万円から40 万円ぐらい費用が必要となります。ところが特許申請は、最初の申請はできるだけ幅広く許可をとろうとします。ところが、大概幅広く要求しても、特許庁に申請すると許可が下りないのです。そのため、徐々に狭めていき、部分的な範囲の許可となります。最初から狭めて申請すると一発で許可されるのですが、効力が弱いため、できるだけ幅広い範囲で許可を取得しようとするわけです。特許を取得するにも書き直しが必要な場合があり、申請書の修正をするたびに、書き直し料10 万円というように、弁理士に請求されるのです。40 万円で申請書を作成したものに、書き直し3回を追加すると、75 万円の費用を要します。申請後特許が登録されると弁理士から今度は成功報酬10 万円とくるわけです。特許を取得するだけで、70、80 万円という費用が必要となります。とにかく自社商品を製造・販売するには、多額の費用が必要となります。下請け加工業では、1個製造したらいくら儲けたという世界なのです。しかし、自社商品開発企業は、初期投資をどんどんしていかないと、会社は成り立たないので、自社商品開発投資の世界にどんどん入っていくわけです。円高とか産業の空洞化で、加工業のお客企業が日本から海外に活動の拠点を移して、仕事が次々となくなるところに追い込まれてくるわけです。
- ③試作品の製作
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作業工程として量産する前に試作品を製作します。例えば、自社商品の「しっぷ貼り ひとりでペッタンコ」について最初からこの形に仕上がったわけではないのです。試作品をつくって、自分で湿布を貼ってみる、この試作品の製作を10 回ぐらい繰り返します。恐らく商品開発を担当された方は、試作品を何回もつくられた経験があると思います。試作品をつくり納得いくまで修正を繰り返します。試作品も自分自身で簡単に製作できたらいいのですが、最終段階の試作品となると、気合の入った品質のよい試作品まで製作しないと、最終の試作品と本番の商品が全然違うのは、有り得ないのです。最初は手作りのいい加減な試作品であったとしても、最終段階では商品に近いものにします。商品に近い試作品を、試作製造企業にお願いすると、何十万円という試作品製作費用が発生します。商品の試作品の製作を繰り返し商品に至るまでには、1年半ぐらいかかり、10 回ぐらい繰り返し製作しました。その開発の人件費がまた嵩みます。私と試作品製作担当者と、こうしよう、ああしようという打ち合わせを週に3回ぐらい繰り返し1年半続けて、やっと「しっぷ貼り ひとりでペッタンコ」が完成しました。それで試作段階が終わって、次に何百万を投資して金型をつくって、量産しました。これはもう従来の本業なので自社の工場で、機械を稼働させて製造することができます。次に商品パッケージに会社名や電話番号を掲載していきます。商品の売りっぱなしで、あとは知りませんというような会社は、商品の裏を見たら、問い合わせが記載されていないことがあります。それは非常に無責任ですね。自社では問い合わせできるように連絡先を記載しています。そうすると消費者から電話がかかってくるのです。例えば、「どうやってこの商品を使うねん」、しっぷ貼り ひとりでペッタンコの場合は、「湿布がぐちゃぐちゃになってしまう。どうやったらうまいこと貼れるねん」とか説明書を一切読まずに、「どない使うねん」など、いろいろな人から問い合わせがあるのです。場合によっては、商品不良での問い合わせもあります。このような対応のため、若い社員をお客様相談室に配置しづらいのです。若い社員は繊細なので、お客さんから怒られたりすると、次の日、その次の日に残り積もっていきます。自社のお客様相談室の担当は、苦情を受けると、次の日、全部忘れているのです。経験を重ねているので翌日に持ち越さないですね。苦情の連絡が入ってきたときは、「怒りよったな」というような感じですが、次の日になったらもう忘れています。こういう人がお客様相談窓口には向いているのです。2人交代で年間230 万個ぐらい製品を出荷する1%も問合せがないとしても、月にやはり100 件から150 件ぐらいの問い合わせがあります。またこの業務に対しても、電話代と人件費が必要となります。
- ④在庫
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また金型の話に戻りますが、金型代は投資しなければ商品になりません。とにかく次々とお金を使って投資していかないと商品が生まれないという世界なのです。商品の出荷は当日午後2 時くらいまでに注文が入った場合には、その日中に出荷します。だから自社商品になると商品を持っておかないといけないので、いったん銀行からお金を借りて、そのお金で商品をつくって、商品が売れたお金から少しずつ銀行に返済していくので、商品在庫代が必要となります。在庫は決算では資産に掲載されるので赤字にはならないのですが、在庫だらけで資金繰りが悪くなり、倒産する会社があります。
例えば、ライバル企業が同じような商品をつくってきたとします。そのときに相手が金持ちかどうかを考えるのです。資金が潤沢な企業は、在庫を持つ資金的な余裕があるので、長期間かけて自社と勝負をするわけですが、そうでない企業であれば、やがて資金繰りが悪化して在庫をなくしてしまわないといけなくなります。そしたら相手企業は、商品を廃番する日が近いので、自社が粘ったら、この企業には勝てる。そのようなことを想像しながら、売り場で考えるケースもあります。そのぐらい在庫は会社の経営を逼迫してきます。株式上場企業は、在庫を持っていても結構平気なところが多いのです。先程の愛知県立豊橋工業高等学校の小久保先生の実践報告において、足で操作する扇風機を開発された株式会社山善という大手商社が高校生のアイディアを採用されたのですが、株式上場しておりある程度資金を持っているので、この商品が売れなかったとしても、倉庫に寝かしておいても、倒産するということはないのです。その代わり、株式上場企業になると監査人が厳しいので、動きの悪い在庫は処分しなさいというように、監査の厳しさがあります。自社の監査は、会計士の人も入るのですが、基本私たちが監査するだけなので、もうちょっと粘って売りたいと思ったら、「それは寝かしておいてかめへんわ」と言ったら、それで過ぎていくのです。上場企業は回転率の悪い商品は、粘って寝かしておけない危険性があります。
- ⑤商品化実現への投資とリスク
- この一通りの工程を経て自社商品開発がなされます。アクティブラーニング系の自社商品開発で、自立型企業になろうと思えば、繰り返しこの工程を課せられます。下請け加工業であれば図面を受取り、金型を手配して、金型代については先払いするのは数カ月だけで、金型代は全部元受企業が自社に支払ってくれます。なお注文が5,000 台とすると5,000 台分を製造して納品したら、手形で4カ月後に支払ってくれます。このように部分的な工程だけを任されるのが下請け加工業なのです。ところが自社商品開発、自立型企業となると、最初に企画を行って、市場調査の実施、試作品を作り、設計、デザインを行って、パテントを取得する。最後にはお客様相談室も設置します。東大阪は中小企業の街で、どの企業も自社商品をつくりたいので、自社に「こういう自社商品をつくりたいんですわ」と来るわけです。けれども私がその方に、「あんた、こんだけお金を出す覚悟はあるんか。なんぼ持ってんねん」と聞いたら、もうそれでその方は、「それはちょっと無理ですね」と言うことが多いのです。だから、できそうでできない。だから、加工屋が10 軒、20 軒集まっても、誰がこの資金を出資して、どこがリスクの責任を持つのかとなると、受ける方はいないのです。だから、先行投資に慣れているところに商品アイディアの案件を持っていくと商品化の実現に向け動き出す可能性があります。しかし、投資に慣れてない加工業のみの企業では、いくらいいアイディアの話をしても、デザインの数十万円ひとつ絶対出資しないのです。もう何回も経験しましたが、「ここまで考えたのですが」と自社に来られるのです。「これ、ちょっとデザイン悪いから、デザイン専門に依頼したら?」と言ったら、絶対デザインを外部に依頼されないで止まってしまいます。投資する気が全くないのです。しかし機械の購入には出資されます。機械とか自分の乗る車には出資するのです。「車、ええのん乗ってますね」「いや、これクラウンで、500 万円しました」とか、機械でも、「これ1,000 万ですわ」「2,000 万ですわ」というように出資されます。しかしデザインに係る費用の数十万円は投資されません。「車、売っぱろうて、これ、やりはったほうがよろしいで。車なんか別にボロでもよろしいやん」という話をしても、考え方はかわりません。だからその感覚を切り替えないとだめだということです。私も、二十数年前清水の舞台から飛び降りる覚悟で、資金を次々使用していました。すると社長が「やめとけ」と止めに来るのです。だから、私が前に進むと後ろから引っ張られるような状況で、無理やり進めて、実際そこそこ売れると、「ほんなら、もうちょっと次やれや」というように売れると前へ進む、そのような繰り返しでした。あまりに単価の安い製品は1点、2点では商売にならないので、100 点、200 点のまとまりにしないとマグロ1匹という商品じゃなくて、イワシの群れのような商品群で、自社は勝負していかなければならない立場なのです。
- ⑥広報
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このような工程を経て、販売は、ものすごく難しいです。東京インターナショナル・ギフト・ショーは、2ブース出展するだけで150 万円ぐらいの費用となります。売れるわけでもなく、商品のアピールをするだけで、そのぐらいの費用が必要となります。次はパンフレット作成となります。1 冊82 ページで1万部ぐらい毎年作成し、250 万円で1冊250 円かかります。これもお金になるかどうか分かりませんが、商品アピールには必要です。広報活動については、メディアからの問い合わせがあったときに、すぐにネタの提示ができるような準備と仕掛けをしておき、リリースすることでメディアとつながる機会が巡ってきます。雑誌『プレジデント』が取材に来てくれ掲載されました。またホームページ作成にも費用として200 万円ぐらいかかるのです。ホームページは安価なものは10 万円とか15 万円ぐらいで製作ができます。しかしやはり強力なホームページでないと効果が薄いので、腕のいいデザイナーに依頼すると作成費用が高額となります。安価であっても全く問い合わせがなかったら無駄になります。以前のホームページは、自社商品を自社で作ったホームページで掲載していました。それはやはり下請け加工業のホームページで、1日のアクセス数が40 件ぐらいでした。かたや自社商品開発で自立型企業としてのホームページではマスコミにも取り上げられ、1日のアクセス数が毎日300 件ぐらいあります。アクセス数がどのくらいまでの数字に達するかは、結構重要です。
先日、MBS のラジオの「日本一明るい経済電波新聞」という番組に出演させてもらいFacebook にそのときの内容を掲載しました。とにかく無料の広報媒体を利用しないと、500 万円とか1,000 万円かけて広報宣伝活動を行うと、製品の1個、2個製造できるので、その分の費用を商品づくりに活用しようという発想になります。
- ⑦アクティブラーニング
- このように自社は、20 数年前100%下請け加工業から、現在下請け加工業30%、自社商品開発70%程度の企業となったのです。ここまで来るのに、根気よく継続して取組んだことや資金も必要であったし、この辺の壁がすごく高かったように感じています。下請け加工業の場合、とにかく大手企業にお伺いして、引き合いがあって、注文どおり商品をつくってという、どちらかというと一方通行の事業だと思います。指示されたとおり、納期も合わせ、品質も合わせ、言われたとおりに行う。ところが、自社商品の開発になると、誰も何も言ってくれないので自分で決めないといけません。自分で品質も商品のレベルも全部決めて、ここまでの商品として販売しようとなります。だから自分で決めて、決めて、決めて、自分で資金も覚悟して出資して、どちらかというとこの取組はアクティブラーニングですね。だから、企画から始まって、これだけの工程を自分でこなさなければならないので、ものすごく自分自身にも勉強になり実施できたという印象です。
3.大学との取り組みについて
話はかわりますが、大阪商業大学が取組まれている大商大ビジネス・アイデアコンテストに自社は、課題提供企業として、4年前から参加させてもらって、学生たちが考えたアイディアの商品化実現に向けて取組んでいます。この取組の第1号として2 年前の平成26 年秋に商品化が実現し、17,000 個程度の販売実績がありますが、これはできすぎるくらい、よく売れましたね。今後どの程度販売できるかはわかりません。学生のアイディアからの商品化で17,000 個も売れるとは思わなかったのですが、売れて大正解であったと思っています。
この取組のすごかったのは、学生が、本取組を始める前は、1 年生から3年生までの期間であまり単位を取得できてなかったのです。それが商品化の取組のために打合せを20 回ぐらいするうちに、どんどんどんどん変わっていきました。1、2回目の打合せの頃、自社の事務所へ学生が来て打合せしているところに、社長が顔を出すのですが、学生があまりしゃべらないし、「あの子、もうひとつちゃうか」という感じで感想を言うわけです。「もうひとつやな。何とかならへんかなと思ってんねんけど、今のところ、ちょっと反応が鈍いけれども、取りあえず進めてみるわ」というような感じでした。もう少し気楽な関係を作るために、打合せ時間を昼前にして、昼ご飯をいっしょに食べに行くと、もう少し話するかなと考え、このような機会を何回か繰り返しました。そうするとだんだん話すようになり、最後にはもう別人のようになりスタッフが何人も会議に入ってきても普通に対応できるようになったのです。私たちと商品化に取組んだ年には、1 〜3年生まで3 年間かけて修得した合計単位よりも多く単位を修得できたのです。おまけにその学生に「えらい変わったな」と私が言ったら、学生から「私の人生180 度変わりました」といううれしいことを言ってくれました。彼はびっくりするぐらい変わりました。大学側のフォローもすごく良く、きめ細かなフォローをしてくれたのです。どうしても一人で取組みを進めるとなると、前に進めにくいですよね。私たちが学生に打合せに来いとか、こうしようとか言っても、学生たちは少し戸惑います。だから最初の頃、学生が取組むことに慣れて調子が出るまでは、大学の先生が同行して学生の横でフォローしながら、商品化の取組を進めました。学生といっしょに取組んだ「マグネット反射ワッペン」は、学生のアイディアの着眼が良かったのです。学生のアイディアに対して打合せを重ね、丸1年かけてこのようなワッペンを作るのです。ネオジウム磁石が中に入っていて、衣服のどこにでも取り付けることができて安全ですよと、それだけの商品なのです。デザインの検討から、誰が付けて、どこで販売してというような先ほどの工程を実施します。この工程を学生と一緒にやっていくわけです。学生本人は、私たちの進む通りに一生懸命ついてくるだけと思うでしょうが、あらゆる場において人前で説明する機会も増えてきて、そのような場が似合わなかった学生が、いつの間にか似合うようになり、成長したと感じるようになります。商品化に取組んでいる私たちのチーム以外のスタッフも、学生自体が成長していることが目に見えて分かるのです。大体打合せを10 回ぐらい行うと変化してきます。現在3人の学生が商品化に取組んでおり、今秋には3人とも最終試作品ができ上がる予定です。9月ぐらいに最終結論に至る商品化の実現可能性が高い3人が取組んでいます。その3人も同じような変化をしてくれています。まさか学生3人と、このような経験ができるとは思ってなかったのですが、なかなか面白い展開になっています。
4.おわりに
あと、私は、大阪商業大学をはじめ、大阪大学、大阪市立大学、阪南大学などで講義の講師をさせてもらっています。高校では、八尾高等学校や都島高等学校夜間コースなどで60 回ぐらい話をさせてもらいました。下請け加工業の立場のままであれば、私自身が、そのような場において話をすることはできなかったと思います。自社商品開発に取組み、自社の広報を行うことによって、自分も変わることができたという想いです。私が自分から積極的にやっていくようになった時期は、ちょうど大学生になって下宿した頃です。自分のアクティブラーニング生活が始まったという感覚です。日常生活では、朝誰も起こしてくれないので、昼まで寝ていたら1年半で留年しそうになり、そこから必死に人生を変えないといけないと考え、自分が変身しだしたように思います。さらに自社商品の開発を経験することで、もう1回自分自身が変われたように思います。私は大学時代にクラブ活動に打ち込んでいました。まさにクラブはアクティブラーニングだと思います。あと、小学校・高校においてPTA 会長を務めたのですが、私が自社商品開発に取組んでなかったら、そのような経験もできなかったのではないかと思っています。PTA の活動もものづくりの仕組みの中に当てはめていくと、できると感じました。自分自身でものごとを企画して、どういうふうに表現して行こうかと考えていくことが全く同じなのです。自社商品開発の取組に当てはめていくからできたのであって、下請加工業のままであれば、できていなかったと思っています。いい体験を違った角度からさせてもらったという想いです。また、町内会会長も務めましたが、この場合は仕組みができあがっているので、これは誰でもできるように感じました。
自社商品開発の取組みの経験がより自分の幅を多方面に拡げてくれていると感じています。